魔宮夫人の恐怖! 5章 決死の報告

 スマホに表示されている文章は簡潔だった。
 イサムが行方不明だから協力してください――。
 画面にはそう表示されている。送り主は相馬晴彦だ。
 やれやれと咲間蒼生は頭を掻いた。そして、ふっとまずいと思った。
 警視庁公安部警視という立場上、咲間は普段から人当たりのいい印象を持たれるように心がけている。服装は夏でも青い背広でぴしりと固めているし、髪も茶色く染めてなるべく軽みのあるように保っている。ついでに笑顔もなるべく絶やさないようにしている。
 人当たりの良さが、捜査や人間関係を上手く運ばせるのに必要だと実感しているからだ。服装や髪形は、だから印象を操作する上では欠かせない要素だ。
 とはいえ、それだけではすまない。もっとも大切なのは、やはり表情なのだ。
 どんなに軽々とした服装をしていようと、顰め面をしていたのでは人は寄ってこない。
 そして咲間は、真剣な顔をすると目つきが鋭くなるらしく、人に冷たい印象を与えてしまうことがあるようなのだ。
 今、スマホの画面を見た時も、一瞬、その冷たい表情を作ってしまったことを自覚し、それでまずいと思ったのだった。
 それでも、任務用の携帯ではなく、私物としての携帯に着信があり、そこに事件性のあることが書かれていたら、やはり真剣な面持ちにもなってしまうというものだ。
 報告が簡潔なのは仕事にしても大切なことではあるが、それは情報不足であるということでもある。行方不明で協力してほしいということは分かったが、どういう経緯があったのか、現状はどうなのか、という情報がほとんどない。
 送り主の晴彦は、学生でありながら探偵事務所の所長代行を預かる身であり、いつもは沈着で頭の回転もなかなかのものだ。その晴彦が、こんな情報不足の報せを寄越すということは、よほど焦っているのだろう。
 ちょうど仕事を終えた咲間は、茜色の夕日の中、家への帰路を歩きながらそんな風に思った。
 このまま行けば、ちょうど武智探偵事務所がある。ついでという言い方は晴彦たちには悪いが、このまま家へ帰る前に、武智探偵事務所へ寄るとしよう。そう咲間は思った。
 そして、地面に伸びた自分の長い影を踏みながら歩きだそうとした時だった。
 なにか異質なものが視界の隅へ映った。
 そちらへ目を向けると――。
 少年が倒れていた。
 青い上着に白いショートパンツを着けた少年だ。そんな姿の少年が、地面にしがみつくようにうつ伏せになって倒れている。
 白いショートパンツから伸びる足はか細くて白いが、脛も膝も太腿も、かすり傷だらけだ。着ている服も上等なもののように見えるが、ところどころ破れていたり汚れたりしている。
 よほどのことがなければ、こうはならないだろう。
 咲間は少年に駆け寄ると、まずは手を触れずに声だけをかけた。
「おい、どうした。大丈夫か」
 もし体が損傷していたら、下手に動かすことで怪我がひどくなる恐れがある。だから、まずは体に触れることはしなかったのだ。しかし、どうやらその心配はないようだった。
 少年は、う――と呻き声をあげ、みずからの力で起き上がったのだ。
 腕立て伏せをするように手のひらを地面に着け、うつ伏せの体勢から裏返って尻を地面につく。体力が足りないせいか、立ち上がりはしないものの、少年は後ろに手をついて、上半身を半端に起こした状態で力なく咲間を見あげる。
 少年が大きな傷を負っていないことを確認した咲間は、ようやくしゃがみこんで少年の背中に手をあてた。
 そして、少年の体を支えながら、ゆっくりと立たせる。
「おや」
 なんとか立ち上がった少年の顔を見て、咲間は記憶を刺激された。
 見覚えがあったのだ。
 決して顔見知りではない。だが、咲間はこの少年を見たことがある。目尻のつり上がった様子や、さらりとした黒い髪。おまけに赤いネクタイ、それから黒いシャツ。すぐに少年の正体を思い出した。
「きみは、もしかして――」
 少年は、なんとか足で地面に立っているといったありさまだ。ふらふらとおぼつかない足には、力が入っていないようだ。咲間はそれでも意識を失わせないようにと、その背中を支えてあえて立たせている。
「御子柴祥真くんじゃないか」
 そう咲間は尋ねた。
「そ、そうです」
 乱れた息に紛れて、少年――祥真の微かな声が漏れる。
「どうしてここに――いや、今までどこに」
 誘拐されたと報告を受けている少年が、突然目の前に現れたので、何から尋ねて良いのか分からず、咲間はつい言葉に詰まる。なかなか明確な問いかけを見つけ出せないまま悶々としていると、祥真の方から口をひらいた。
「た、たけ、ちたん」
「ん?-」
「た、武智探偵事務所へ――」
 祥真は顔を顰めて絞り出すような声でそう言い、そしてついに気絶してしまった。ようやく立っていたその足から急に力が抜け、また体全体からも力が抜けた。その華奢な体がくたりとくずおれる。
 咲間は両手で翔真の体を両手で抱きかかえた。
 翔真がどうして武智探偵事務所の名前を知っているかは分からない。しかし、ちょうど晴彦からもイサムが失踪したという連絡があったところだ。連日発生している誘拐事件が、自然と咲間の頭の中で繋がる。
 とはいえ、このままでは祥真の体が心配だ。武智探偵事務所へ、と言い残して祥真は気絶したが、その前にまずは医師に見せるべきかもしれない。
 時間としてはもう午後の五時をすぎているから病院は閉まっているだろう。それでも救急なら話は別だ。咲間は祥真の体を背負うと、まずは近くの救急外来へ走った。