祥真は、イサムの竈馬嫌いをさんざん笑った。
そして、時計の声を聞きつけた梨奈と詩織が、それを頼りに晴彦たちのいる部屋へ来て合流した。
それから咲間に連絡を取って、魔宮夫人たちがどこから脱出したのかを訊いたのだが、返ってきた答えが、
「それが捕まえられなかったんだよ」
というものだった。
なんでも、咲間たちが待機していた近くで爆発が起き、それで混乱しているうちに逃してしまったのだという。
「それでも、あんなに派手な恰好をしていたら目にはついたんじゃないですが」
と晴彦は訊いてみたのだが、咲間は見なかったという。
「もしかしたら、警察官の格好をしていたのかもしれないね」
と咲間は言った。
なるほど、と晴彦は頷いた。晴彦たちがこの館へ潜入する時と同じ方法を奴らも使ったのだろう。もっとも、晴彦たちは本物の爆発物は使っていないが・・・・・・。
魔宮夫人たちを取り逃したという咲間の声には、通話口を通しても悔しさが滲んでいた。それに対して、晴彦はどう言葉をかけていいのか分からなかった。
それはともかく、魔宮夫人たちがどこから逃げたのかが分からないとすると、晴彦たちもどこから外へ出ていいのかわからないということになる。
どうしようかと悩んでいると、詩織が、
「私なら分かるのです」
そう言った。確かに詩織ならわかるだろう。なにしろ顧客の館なのだから。
詩織は、祥真からパソコンを返してもらうと、軽くキーボードを叩いて館全体の通路を表示させた。
通路の一箇所に、赤い点がある。
「ここが脱出口なのです」
詩織の話によれば、廊下の床に隠し扉があるらしい。そこを通れば館から離れた場所で地上へ出られるのだそうだ。
晴彦たちは、パソコンの画面を眺めながら、そこに表示されている赤い点に向かって歩き始めた。
そしてようやくイサムを助け、かつ誘拐されていた祥真をも助け出すことに成功した晴彦たちは、無事に武智探偵事務所へ帰ったのだった。詩織が頭をぶつけて失神した以外は、みんな怪我もなく無事に終わったが、晴彦の胸の中には晴れやかではない部分があった。
事務室で、晴彦は今回の事件の報告書をまとめていた。
事件自体はそう難しい内容ではない。ただ――。
魔宮夫人を逃してしまった。
それが晴彦としてはすっきりしないところだった。事件としては誘拐事件だから、攫われたイサムと祥真が戻ってきた点を考えれば解決だ。犯人逮捕は探偵の仕事の範疇ではない。それでも、これまで事件に関わって犯人逮捕に至らなかったことはない。仕事の範疇ではないにしろ、それが今回はできなかったということが、晴彦としては汚点に思えて仕方がなかった。
――魔宮夫人。
華族の末裔であることと、資産家であること以外はまるでわからない。その正体不明の麗人は、武智探偵事務所と対立する形となってしまった。あの性格だ。このまま黙っているということはないだろう。
どんな形になるかは分からないが、いずれまた何らかの形で対決することになりそうだと晴彦は思う。
――その時こそ。
その時こそ逮捕に持ち込んでみせる。
ペンを持っている晴彦は、その手に力を込めた。
そしてもうひとつ、すっきりしないことがあった。それは――。
――詩織。
眼鏡をかけた童顔の同僚の顔を思い浮かべる。
――クッキーの頭文字は、KじゃなくてCだ。
いつ言おうかと思いながらも、結局言えなかった。それがすっきりしない。
明日にでもあらためて訂正しておこうか、と晴彦は思った。
(了)
当サイト内に掲載されている画像・小説の著作権は、(一部例外が明記されている場合を除いて)全て提供者(製作者)様に帰属します。
当サイト内に掲載されている画像・文章の無断転載を禁じます。
当サイトに掲載されているすべての内容は、実在する人物・団体とは一切関係はございません。