赤くなっていた。
普段は緑色をしているバルナバス田中の頬が、なんだか赤くなっている。そして瞬きひとつせずに、目の前の少女を見つめている。少女も床にぺたりと座ったまま、そんなバルバナスの顔を見つめている。
「かわいい」
とバルナバスは言った。さっきもそれは聞いた気がする。
バルナバスは主人のリーデルに命令され、詩織を縛ろうとしたのだが、縄を持ってそれを詩織の体にかけようとした瞬間に固まってしまったのだ。そのまま、もう一分は経過している。
バルナバスは、両手に縄を持って床に片膝をついた体勢のまま、ずっと詩織の丸い顔を見つめている。
どうしたのだ、と訊くまでもない。バルナバスは詩織に惚れてしまったのだろう。一目惚れというやつだ。
「何をやっている、バルナバス。早くその小娘を縛りあげろ」
リーデルは苛ついたような口調でふたたび命令した。それで正気に返ったのか、バルナバスはハッと声をあげた。そして、
「分かりましたでゲス」
とリーデルに言い、
「それじゃあ、大人しくしてもらうでゲス」
と今度こそ詩織を縛りにかかった。華奢な体つきの詩織が、巨漢のバルナバスに抵抗できるはずがない。それでも両手両足を振り回して何としても縛られないようにと暴れる。バルナバスの力を持ってすれば、詩織がどんなに暴れようと力ずくで押さえつけることは不可能ではないだろうが、それに手を焼いているのは矢張り、詩織に対する好意が芽生えているからだろう。
「大人しくしてほしいでゲス。ちょっとの辛抱でゲス」
などと言いながら、詩織のか細い手足を抑えようとする。
「ゲスゲスうるさいのです! この下衆野郎!」
詩織はそう毒づきながらさらに暴れたが、さすがに圧倒的な体格差には適わなかったと見え、とうとう縛りつけられてしまった。両腕は背後に回され、胴体とともに縛り付けられている。足首も縛られているから、立ちあがって逃げるというような真似はできないだろう。せいぜい身をよじるのがやっとだ。
バルナバスの中に芽生えたと思われる詩織への好意も、リーデルに対する忠誠心には適わなかったと見える。
それを詩織も察したのだろう。縛り付けられて動けなくなってからもなお、詩織は口を閉じなかった。バルナバスではなく、その主人であるリーデルに向かって叫ぶ。
「いくら私を脅しても、いや、仮に殺したとしても、お爺さんの計画は絶対に成功しないのです! だからこんなことはやめるのです!」
「お爺さんって言うな! しかし」
リーデルは一度怒鳴ってから、その頬を歪めて悪どい笑みを浮かべた。
「成功はする。越合金も光了力もとうに私が解明済みだからな」
「しかし、さっきも言った通り、それを使って巨大なロボットを造るのだとしたら、その資金がまず足りないのです。だからもう、その時点で頓挫しているも同然なのです」
「そうかな」
ふん、とリーデルは鼻で笑ってから、
「おい、バルナバス、あれを見せてやれ」
と異形の部下に命令した。
「へい、でゲス」
とバルナバスは返事をしてから、詩織の背後の壁に向かって歩き出した。詩織は縛られたまま、首だけを捻って、自分の後ろへ歩いていくバルナバスを視線で追っている。やがて首を捻っても視線を横にずらしても視界に入らない角度の位置までバルナバスが移動すると、詩織は縛られた両足を同時に動かして床を蹴り、体を回転させてさらにバルバナスを視線で追う。
体の向きが百八十度回転したところで詩織は動きを止めた。
「さあ、見ているでゲス」
バルバナスはふたたび壁に向かう。そして片足をあげ、その靴底で思いきり壁をぶち抜いた。
壁板が音を立てて砕け、破片となった木材が地面に落ちる。壁に大きな穴が空いた。しかし、崩れ落ちた壁板の破片から、もうもうと煙のように埃が舞い上がり、それに霞んで穴の向こうが見えない。
ほんの何秒かして、その埃が鎮まり、ようやく穴の向こうの景色が鮮明に見えた。
突き刺さるような夏の日差しの中に、さらさらと涼し気な音を立てて川が流れている。川原には大小不揃いの石が一面に散らばっている。ところどころ、背の高い草が生えていて、なんとなく和歌に詠まれていそうな、きわめて和風な雰囲気をその景色からは感じられた。
そんな和歌のような世界の中に、その雰囲気とはまったく合わないものの姿があった。
大きな鉄の塊だ。耕耘機くらいの大きさはあるだろうか。ただ、形は耕耘機とは大いに異なっていた。まず、タイヤのあるべき場所にタイヤがついていない。代わりに、動物の手足のような部品が飛び出している。さらに目を引くのは、その進行方向と見られる側に取り付けられた大きな突起だった。
円柱形のその突起は、側面に螺旋状の溝が切られている。見る限り、これはどうやらドリルだ。
「なんなのですか!」
詩織が大きな声をあげた。
「ふふふふふ」
リーデルが不敵に笑う。
「驚いたか小娘」
「驚いたのです」
こんなに大きな穴を開けて――と詩織は不安げに言う。
「穴?-」
「そうなのです。いきなり壁を蹴破って、どうするのですか。これは立派な建造物破損なのです!」
詩織はリーデルを睨みつける。
――そこか。
「穴はどうでもいいから、そこのメカを見ろ」
「メカ?-」
詩織はリーデルを睨みつけるのをやめて、壁に穿たれた大きな穴に再び視線を向けた。
「ああ、メカがあるのですね。もしかして」
詩織はまたリーデルを見る。が、その目には今度は敵愾心は見られなかった。大きく見開いた目は丸く、まるで新しいおもちゃを買い与えられた子どものように輝いている。
「これを私に見せて驚かせるために、わざと壁を壊すような派手な演出をしてくれたのですか」
「まあ、そんなところだ」
「わざわざそこまで考えてくれるなんて、もしかして、けっこう〝いい人〟って言われているのではないですか。とっても嬉しいのです!」
「別に、気にすることはない」
リーデルの声が、心なしか小さく聞こえるのは気のせいだろうか。
「それにしてもよく造ったのですね。ええと・・・・・・」
詩織は眉間に皺を寄せて、壁の向こうにあるドリルのついたメカを眺めている。かなり至近距離だし詩織は眼鏡をかけているというのに、ここまで凝視するということは、よほど視力が弱いに違いない。
詩織は、メカの側面を眺めながら、そこに書かれているアルファベットをゆっくりと読み始めた。
「なになに・・・・・・モグ・・・・・・ロ・・・・・・メカ・・・・・・モグロメカ?-」
詩織は首を傾げる。
「この機械はモグロメカというのですか」
「モグロメカではない。モグリメカだ」
「でも、アルファベットは〝リ〟ではなく〝ロ〟になっているのです」
「なんだと」
リーデルは慌てて一歩踏み出し、みずからそのメカの側面を確認した。私も視線だけ向けて、メカの側面の文字を見る。
詩織の言う通りだった。おそらく「MOGURI MECHA」と書きたかったのだろうが、〝I〟の綴りが〝O〟になっている。間違えたのだろう。メカの側面には「MOGURO MECHA」と記されている。
「おい、バルナバス! ひと文字間違えているではないか」
リーデルはバルナバスに向かって声を荒らげた。
「間違えたでゲス。すみませんでゲス」
バルナバスは、その巨躯を丸くして、申し訳なさそうに頭をさげる。
「おまえはこんな間違いをするのに、〝メカ〟の綴りは正しい」
「へい、でゲス」
「それはそれで凄い」
叱っているのだか褒めているのだかわからない。
「それにしても大丈夫なのですか」
メカを眺めながら、詩織が呟いた。
「何がだ」
問い質すリーデルに、詩織は答える。
「モグリメカって、ひと文字変えたらモグラメ――」
「言うな!」
リーデルが詩織の言葉を遮った。
「昨日も言ったが、この世には著作権とかがあってだな――」
「そうは言っても、このメカを造ったのはお爺さんではないですか」
「お爺さんって言うな! それはそうだが・・・・・・しかし」
リーデルはじろりと詩織を睨む。
「貴様は昨日から危ない発言ばかりをしている。加えて私をお爺さんなどと呼ぶ。ろくに私たちに協力する気もないようだし、そろそろ――」
口を閉じてもらうとするか――とリーデルは言った。
口を閉じてもらう――。
すっとぼけたことばかりを言っていたリーデルだったが、そのひと言を口にした瞬間は、それまでにはないほど凶悪な面相を浮かべていた。それに詩織も気づいたのだろう。唇を引き締めると同時に、喉をごくりと鳴らした。
「バルナバス」
リーデルは部下の名前だけを呼んだ。それでバルナバスは、何を言いつけられたのかを悟ったらしい。その大きな足で、ずしりと詩織の正面に近寄る。
「ご主人様の命令には逆らえないでゲス。だから、きみには黙ってもらうことにするでゲス」
詩織の顔に不安の表情が満ちる。
「いや、やめてほしいのです」
後退りをするかのように足を動かすが、両足首を縛られているから地面を蹴ることもろくにできない。両腕も背中で結ばれているから矢張り自由が効かない。詩織にできることは、体を左右に捻じることくらいだ。それ以外は完全に無抵抗を強いられている。
バルナバスが、さらに一歩、詩織に近寄った。
「嫌ッ!」
バルナバスの大きな手が詩織に迫る。そして――。
バルナバスは詩織の口に、ガムテープをひと切れ貼った。
「――――?-」
詩織は何か言いたげにバルナバスを見あげる。
「黙ってもらったでゲス」
とバルバナスは言う。
「んんん、んんんんんっんんんんん、んんんんんんんんんんっんん、んんんんん、んんんんんんんんっんんんんん」
「何を言っているのかぜんぜん分からないぞ」
リーデルは詩織に怖い顔を向けるが、こうしろと部下に命令したのは、他でもないリーデル自身だ。
「彼女はこう言っています」
私は初めて喋った。
「『なんだ、黙らせるっていうから、殺されるのかと思ったら、本当に、黙らせるだけだったのですね』」
リーデルが私に顔を向けてその白い眉を上にあげた。僅かな表情の変化だが、きっとびっくりしているのに違いない。
「おまえ、よく分かったな」
視点役ですから――と私は言った。
「なるほど、はじめっから誰かに自分の言動を解説されているような気分だったが、おまえだったのか」
そう、小説というのは、三人称よりも一人称の方が書きやすいのだ。書き手にもよるが。
「しかし、まあそんなことはどうでも良い」
リーデルは再び悪どい面相を取り戻す。
「小娘。貴様は資金がないことを理由に、私の計画が失敗に終わると言っていたな」
「んんん、んんんんんんんん」
「『それが、どうしたのですか』と言っております」
私の翻訳を聞いて、リーデルはさらに続ける。
「その資金のことだが、当然手は打ってある。そこのモグリメカで銀行を襲うのだ。バルナバス」
どこか抜けている部下だが、どうやらリーデルからの信頼は篤いようだ。リーデルはバルナバスに新しい命令をくだした。
「モグリメカの操縦法は習得しているな」
「へい、でゲス」
よろしい――と言って、リーデルは顎を引いた。歳を重ねて弛んだ顎の皮に、皺が寄る。
「それではバルナバス、モグリメカに乗って地下から第三国際銀行を襲撃し、金塊を盗み出してくるのだ」
「かしこまりましたでゲス」
バルナバスはそう返事をすると、その巨体には似合わない俊敏な動きで壁の穴から外へ飛び出し、モグリメカに乗り込んだ。
次の瞬間。耳をつん裂くようなエンジン音が鳴り響いた。同時に、メカの前方に取り付けられている円錐形の部分が激しく回転を始める。そしてメカは前方に九十度傾くと、ドリルで地面を掘って地中に潜り込んでいった。
相当深く潜り込んだのだろう。しばらくすると、あれほど大きく鳴り響いていたエンジン音も、すぐに聞こえなくなった。
挿絵提供は、リウム様。
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