――フランケンシュタインは諦めてくれ。
晴彦は茂みに身を隠しながら、心の中で友人に謝った。
河川敷である。ところどころに草木が生い茂っているが、その茂みひとつに、晴彦は身を隠していた。うだるような暑さに汗が止まらない。しかも草木が、チノショートパンツから伸びる足や、ピンク色のポロシャツの袖から出ている腕に擦れてくすぐったい。とても不快な場所だ。それでも、この場所が小屋を監視するには最も適していると晴彦は思う。草が密生する範囲はある程度広いし、草の背も高いから、数人の人間なら、ここに潜んで静かにしていれば、まず見つかることはないだろう。それに、小屋からは十メートルほどの距離がある。間に障害物もないから、小屋は丸見えだ。
この場所に晴彦が身を隠してから、すでに一時間は経っている。
また、ここにいるのは晴彦だけではなかった。恋人の梨奈もいる。それから、警視の咲間もいる。さらに心強いことに、咲間は数人の部下を連れてきてくれていた。
今晴彦たちが監視している小屋は、どうやら河川管理事務所の資材置き場であるらしい。本来なら小屋の中に収納されているだろう資材が外に放り出されているところを見ると、この小屋に立てこもっている人間が、勝手に移動させたのだろう。そして、その人間こそが詩織を誘拐した大男と、その背後にいるらしいディートフリートリーデルシュタインだ。
双眼鏡で小屋の中を見てみたが、それはどうやら事実らしい。小屋の中には、額からボルトを生やした緑色の肌の怪人と、白いタキシード姿に外套を纏った老人、それから見間違えるはずもない詩織の姿が確かに見て取れた。おまけに、誰だか分からないけど、あまり目立たない人物がいたが、その人物は気にしなくても大丈夫だろう。なんとなく無害な感じがする。
警官が味方についていてくれるから、踏み込めばいっぺんに逮捕することもできるのだが、問題は詩織だ。椅子に縛り付けられていて動けない様子だ。人質を取られている以上、うかつな動きはできない。
――なんとか隙を見せればいいのだけど。
そう思いつつも、もう暑さで体力が消耗するくらいの時間をここで過ごしている。
――無理かな。
晴彦が諦めかけたその時だった。
小屋で動きがあった。詩織を誘拐した例の巨漢が、小屋から出てきたのだ。そして彼は、自動車へ乗ってどこかへ出かけて行ってしまった。
「好機到来」
晴彦は小さく呟いた。口元が緩むのを抑えられない。
「どうするの、晴彦」
隣にしゃがみ込んでいる梨奈が、その猫のような釣り目をくるりと晴彦に向ける。
「この時のためではないけど、用意してきて良かった」
変装するんだよ――と晴彦は言った。
「実は友人から、フランケンシュタインに変装する方法について相談されていて、その道具を用意していたんだけど、それをここで使うことにする」
「ああ、なるほど。あの巨漢ね」
梨奈のさらに隣りでしゃがみ込んでいた咲間が、納得したようにその温和な笑顔を縦に振っている。柔らかそうな茶色の髪が、ふさふさと前後に揺れる。この猛暑の中、咲間は相変わらずのスーツ姿だ。
「確かにあの大男はフランケンシュタインにそっくりだね。それで、その男が今出ていったから、あいつに化けて忍び込もうっていうことか」
「そうです」
返事をしつつ、晴彦は中腰に立ち上がった。このくらいの高さまでなら、立ち上がっても茂みの外から姿を見られることはないだろう。草の背丈が、それほどまでに高く伸びているのだ。
晴彦は、事務所を出る時に持ってきた特大のバッグを肩に担ぎ、
「じゃあ、変装してくるからちょっと待ってて」
そう言い残してその場を後にした。もう少し小屋から離れた位置で、万全の変装をしようと思ったのだ。そんなわけだから、この変装に使う道具は、演劇ではもう使えない。
――フランケンシュタインは諦めてくれ。
すまないな、と晴彦は心の中で友人に詫びた。
※
変装を得意としている晴彦にとって、フランケンシュタインに化けることくらいは朝飯前だった。きちんと整えても十分程度で済んだ。
背丈を補うのに高下駄を履き、また、筋肉の質量を補うために厭というほど厚着をしているから、この上なく動きにくい。そして、とてつもなく暑い。
激しい運動をしたわけでもないのに、すでに汗が滲んでいる。
――これは早く方をつけないと持たないな。
そう思った。
変装を終えた晴彦は、その巨体をなるべく小さくして元の場所へ戻った。
「うわッ」
「きゃあ」
咲間と梨奈が、ともに驚きの声をあげた。梨奈にいたっては、その拍子に尻餅をついてしまっている。
驚かないでほしい、と晴彦は思う。この姿に変装してくるとあらかじめ言っておいたのだから。
「さすがだね。それなら絶対にバレないよ」
すぐに気を落ち着かせたらしい咲間が、穏やかに笑いながら太鼓判を押した。
「咲間さん」
晴彦は呼びかけた。
「俺がこの姿で、詩織を助け出します。そうしたら警官隊を率いてリーデルを逮捕してください」
「任せておいて。期待しているよ」
「頑張ってね」
梨奈も真剣な面持ちで晴彦に声援を送った。そして顔の前で、片手をぐっと強く握りしめる。
「いや、梨奈。悪いけど梨奈にも協力してほしいんだ」
「私も?-」
「そう」
「何をすればいいの」
「梨奈にも変装してほしいんだよ」
「変装?- あたしが?-」
梨奈は、その端正な眉を歪めて、思いっきり怪訝そうな顔をした。
「あたしが、何に変装するの」
「それはね」
石だよ――と晴彦は答えた。
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