一織は手の中にある紙を見て、ため息をついた。
事は1時間前に遡る。
一織、友翼、結衣、星空は、桐和田高等学校の天文研究会に在籍する同級生。高校2年の冬休み、受験のために今年で天文研究会を卒業するという結衣のために、近くの山のロッジを借り切って記念旅行を計画したまでは良かった。
だが、まさかそこで結衣に告白されるとは——。
一織と結衣は、小学校からの幼馴染だ。
冬の空に青白く煌めくオリオン座のリゲルが好きな結衣と、夏を象徴するかのごとく燃え盛る赤色をしたアンタレスがお気に入りだった一織。好きな星や性格は違えど、同じ夜空を愛する二人はすぐに親友になった。
だが、一織は結衣にそれ以上の想いを抱いたことはない。結衣とはずっと仲の良い友達だったし、研究会から抜けてもその関係がずっと続いていくんだと思っていた。
けれど、彼女は違った。
「私、ずっとずっと一織くんのことが好きだった。.......一織くんがもし、私のことをそう思えないのなら、私はもうみんなには会えない」
結衣の家は、すごく厳しい。家系の問題か何かで、結衣は絶対に良い大学に受からなくてはならないらしい。
天文研究会に入ることも当初は反対されていたが、高3になったら勉強に専念する、という約束でようやく認められたという。勉強に専念する、とは、友達を含むすべてを犠牲にして受験勉強に打ち込む、という意味だ。
結衣は、もし一織が結衣のことを好きならば、親と戦う.......最悪、親元を離れることも覚悟の上だという。それでも、自分は一織と一緒にいたい。
でも、そうでないのなら.......みんなと会えないのは寂しいけど、自分から言い出したことを撤回することはできない。そういうことらしい。
手渡された紙には、そのことが綺麗な字で丁寧に書かれていた。最初は結衣の言うことの意味がわからず憤慨していた一織も、読んでいくにつれて結衣の苦悩がひしひしと伝わってきて、何も言えなくなった。
そうして、今に至る。
「いおりー、みんなもう外に出てるよー。空めっちゃ綺麗だから、一織も来なよー」
友翼がドアを開けて一織を呼ぶ。一織は返事をするが、友翼は訝しげな顔になり部屋の中に入ってきた。
「一織、どうしたの?何か悩み事なら聞くけど」
友翼は、人の感情に敏感だ。彼の前では隠し事は通用しないし、何を考えているのかすぐに当てられてしまう。基本的に深くは追ってこないが、相手がネガティブな感情な時は別だ。友翼によると、
「悪い気持ちは感染るんだよ。お互い悪い気持ちになると、何か悪いことが起きる気がするでしょー」
ということらしく、しつこく尋ねてきてなんとかして対処しようとする。それでも言いたくない時は、そっと首を振るのが一織たちの符牒になっていた。そして、一織は首を振る。
「......そっか。とにかく、外には出てきてよ」
心配そうにそう言って部屋を出る友翼に一織は頷くと、手紙を丸めてポケットに入れ、上着を羽織った。
外に出ると、満面の星空が広がっていた。いつもの一織ならば大喜びして、年甲斐もなくはしゃぐところだ。
何もこんな時に、と、やり場のない苛立ちが募る。結衣にとってはこれがラストチャンスだったということは、理解しているのだが。
「どしたの?いおりん、ちょっと元気ないじゃん」
星空が肩をぽん、と叩いた。コイツにまで見抜かれるとは、相当暗い顔してたんだろうな、と意識して口角を上げてみる。多少不自然でも彼女が訝しむことはない。
星空は筋金入りの天然だ。原因ははっきりしないが、そもそも彼女の名前から察するに、親がそうだったから、というのが一織の推理だ。.......星空って書いて「かれん」と読むなんて、想像できるか?
星空の場合、声をかけてきても何か考えがあるわけではなく、ほんの挨拶程度で口にしているだけだ。
物事を深く考えすぎる性格の一織たち三人と比べると、星空の存在はかなりアンバランス。だが、何故か彼女の存在は必要不可欠となっている。
そう、必要不可欠。一織たち四人は、誰一人欠けてはならない。一人でも欠けてしまったら、全てが壊れてしまうような、そんな予感が一織を襲った。
そうと決めたら。一織は驚く星空に構わず、丘を駆け上がっていく。結衣はこんな所からの景色で満足するような奴じゃない。結衣ならきっと、ベストポジション.......山の頂上で、一人でオリオン座を眺めているに違いなかった。
「結衣!」
一織は結衣を視界に捉えると、荒い息を吐きながら叫ぶ。振り返った結衣の切ない表情に、かけるべき言葉を見失って、一瞬の間立ち尽くして........。
不意に光が一織たちを襲った。
思わず二人ともそちらを見ると、テレビで見るような、平べったい円盤状の巨大な物体が、光を発しながらこちらに迫ってきている。
駆け寄ってきた友翼と星空とともに、一織たちは光に飲み込まれた。
「あちゃあ、やってもうた.......」
地球から642光年離れたオリオン座を構成する星、ベテルギウス。そこに住む知的生命体の一人は、ぺしっと頭を叩いた。
ベテルギウスは今、終末に向かっている。地球では数百万年後だとか数千年後だとか今この瞬間かもしれないだとか、色々なことが言われているようだが実際は違う。
あと一年。あと一年で、膨れ上がったベテルギウスは超新星爆発を起こす。ベテルギウスに住む彼らは、滅亡の道を辿っているのだ。
それを避けるべく、ベテルギウスでは他の星への移民計画が立ち上がっている。様々な星が検討される中、最終候補まで残ったのがここ、地球だった。
そしてベテルギウス星人——仮にそう呼ぶ——の中でも卓越した頭脳を持つ彼は、エージェントとして宇宙船に乗って地球へと偵察にやって来たのである。
しかし、そんな彼でも突然のエンジントラブルまでは想定できなかった。
ベテルギウスの英知を結集した宇宙船はこんな事ではビクともしないが、その下敷きになった地球人まではそうはいかない。
本当は彼にとって地球人の生死などどうでもいいのだが、いかんせん宇宙平和条約の存在がある。事故による他の星人の死亡に関しては、蘇生措置を施さなければならない。
「はぁ........帰ったらおっさんカンカンやで」
彼は宇宙船の中からゴソゴソと何かのボトルを取り出し、倒れている四人に中の液体をかけた。
一織の目が覚める。
初めは何が起こったのかわからず困惑するが、やがて自分が宇宙船に潰されたことに気づく。他の三人も次々と起き出した。
一織はキョロキョロと辺りを見回し、謎の生命体——そう、まるで宇宙人のような——に気づく。
「おお、起きたか」
ソイツはこちらに向かって笑いかけ、両手を広げる。
「いやー、スマンスマン。ウチの宇宙船がぶつかってしもたわ。ちゃんと治したから堪忍してやー」
「宇宙船.......って」
一織たちは訝しげにそちらを見る。星空は困惑し、友翼は驚きながらもじっと観察し、結衣は恐怖しながら。
「そや、一応説明せな。ウチはここから遥か遠くの星、ベテルギウスからやって来たんや。この星に遊びにな。でも、途中で宇宙船がトラブってもうて、不時着したところにちょうど君らがいてな、ぶつかってしもたっていうわけや。
そこで君らは一度死んだんやけど、そこはウチらも高度文明人、死んだ人間を生き返らすくらいちょちょいのちょいやから、安心してくれや。.......あ、ウチの日本語、合うとる?データが少ないから心配やねん」
常識が通用しない状況に、一織は立ち尽くすしかない。とにかく一織の身体は無事らしい、ということはわかった。だったらもう、後のことはどうでもいい気がする。ここでのことは、全部夢だってことにすれば.......。
「.......それで済めば、お互い楽なんやけどな。済まん事に、死んだやつを生き返らせると面倒なことが起こるんや」
「面倒なこと?」
確認するのは友翼だ。友翼はどんな時でも動じずに、物事を冷静に判断する。こういう非常時にはいつも面倒臭い友翼が急に頼もしく見えてくるから不思議だ。
「せやせや。ウチの技術は、ソイツに一種類の莫大なエネルギーをぶつけて、その衝撃で止まってた心臓を動かすねん。そのエネルギーの余波で、君らには.......その、ある種の特殊能力、みたいなモンが身についとる」
さも困った、という顔で肩をすくめるベテルギウス星人だが、こちらにとってはそんな軽い問題じゃない。日常生活に支障をきたすような能力なら、一織たちの人生は大きく狂ってしまう。
「いやいやいや、ちょっと待てよ.......」
思わず、というか、気がついたら口に出ていた。
「なんだよ、それ.......そっちが勝手にぶつかっといて、勝手に変なもんくっつけて.......てめぇ、ふざけんなっ!」
ニヤニヤと気味悪く笑うベテルギウス星人に怒りがこみ上げてきた一織は、感情のままに拳を振るった。
だが、微かな違和感はあった。いつもとは何かが違う。腕の感覚も、腕を振る速さも、拳がぶつかる時の音も。そう、この音はまるで、何かが燃えているような.......。
「うわぁっ!」
自分の手が燃えている。それに気づいて、一織は絶望した。
「やっぱりなぁ。君にかけたエネルギーは、“炎”のエネルギーや。君が得た能力は、感情の起伏に応じて腕の温度が上昇する能力みたいやな。.......ま、熱くはないみたいやし平気やろ」
服が耐熱性なのか、一向に燃える様子を見せない星人が笑いながら言う。冗談じゃない。燃える手なんて、そんな.......。
「そんで、もう一人の少年。君、もしかしてさっきから色んな人の声が聞こえてへん?」
友翼が顔を上げる。その顔は汗でびっしょりと濡れていて、頭を痛そうに抱えている。
「.......僕が身につけた能力は、他人の心の声が聞こえる能力?」
「いいや、そんだけじゃないはずや。多分やけどな、君は同時に1人ならその心の声を操作することができる。.......つまり、他人を自由に操れるってことや。あんまり不自然じゃない範囲ならな」
「.......そんな能力、要らないんだけどな」
友翼はため息をつく。一織たちがこの状況に困惑している間に、友翼は思案を巡らせていたらしい。
一方で星空はまだ何が起きているのか分からずにいる様子で、おずおずと手を挙げる。
「せんせー、私は?」
「そこの嬢ちゃんはな、“水”と“射”のエネルギーを注いだから.......指先から水鉄砲が飛ぶ、とかそんな感じやろか?」
星空はえー、と不満げな顔で右手の人差し指を突き出すが、かなりの速度で弾が発射され笑顔に変わる。確かにこれなら、大人の男を気絶させるくらいの力はあるかもしれない。
「そんで、最後に.......姉ちゃんは、五秒先の未来が見える力、やな。これだけはハッキリ言えるで。めっちゃ珍しいエネルギー使ったったからな」
「五秒先の、未来.......」
「せや。今までもウチが何言うか、分かっとったんちゃう?」
結衣は何かを確かめるようにしばらくうつむいている。
「........あぁ、最後に大事なこと言わなあかん。能力は全部、左の耳たぶを触るとオンオフの切り替えができるで」
それを先に言えよ、とその場にいた全員が思った。
ベテルギウス星人はトラブルが治ったらしい宇宙船に乗って逃げるように帰っていった。
一織たちは自分たちに起こったことをゆっくりと噛み締め、理解する。まずは自分が生きているということ、このまま家に帰れるということを喜び、わずかな不安は考えないことにする。無言のままに、このことはお互い黙っていよう、という約束ができた。
そして、帰り道。
全てを忘れたように他愛のない話をする友翼と星空から離れ、一織は結衣に話しかける。
「あのさ、結衣.......」
「言わなくても、いいよ」
ほとんど同時だった。直後に、結衣はさりげなく左の耳たぶを触る。
「........結衣、まさか能力を切ってなかったのか?」
一織の質問には答えず、結衣はゆっくりと微笑む。
「ごめん。.......自分でもわかってたんだ、ずるい質問だったってこと。一織くんの気持ちも考えずに、自分勝手だった。........決めた。もう、みんなには会わない。これは、私の選択」
「結衣.......」
「さよなら」
呼び止める一織にその言葉と、星空と同じくらい綺麗な後ろ姿を残して、結衣は去っていった。
「.......いや、災難やったなー」
他に持ち合わせがなかったとはいえ、リゲルから持ち帰ってきたあの“予”のエネルギーを使ってしまったのは痛い損失だった。........損失で済めば良いのだが。
「地球侵略の障害になったら困るねん。.......何か考えなあかんな」
ベテルギウス屈指の頭脳と鋼のような冷徹さを併せ持つエージェント、ゼロハチは虚空を睨みつけた。
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